2009年12月27日
益子焼
栃木県芳賀(はが)郡益子町の陶窯およびその製品。
窯(かま)場は益子町の栗生(あお)、倉見沢、滝ノ入、東山、脇屋(わきや)などに広がっている。発祥は江戸時代末期と比較的遅く、茨城県笠間(かさま)焼の陶技を受けた大塚啓三郎により1853年(嘉永6)ごろ開窯とする説、それより早く菊地清蔵がすでに焼物を製していたとする説があるが、一般的には啓三郎が陶祖となっている。
1855年(安政2)三田称平が郡奉行(こおりぶぎょう)となって窯業の奨励を行い、明治まで黒羽(くろばね)藩の指定窯として土地の人々の甕(かめ)、すり鉢、土瓶などの生活用具を中心とした雑器窯として発展した。
製品は白濁釉(ゆう)、黒釉、緑釉を掛け流す、いわゆる掛け分け釉陶のほか、染付、鉄絵、イッチン描(びょう)などの絵付陶も焼造した。
1924年(大正13)陶芸家浜田庄司(しょうじ)が益子に定住して、民芸的な創作活動を行ってからは活況を呈し、現在は創造性の強い食器、飾り皿、花瓶などがつくられている。
Posted by ラウンドテーブル at 16:35│Comments(0)
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